Mar 05, 2009
永久脱毛の有効期間は10年か
脱毛方法にはいろいろな種類がありますが、謎が多いのが永久脱毛のだ。永久脱毛は一度施術すれば一生年齢がないという意味かと思ったが、そうではないらしい。個人差がありますが、最大10年の限度だ。 10年間の年齢がない場合は、十分だと思う。しかし、髪が伸びるのは、人間とって必要なのだが10年間でどのように停止することができるか。専門家でないので分からないが、根の毛を抜いても、そこまで長期間の停止ができるのだろうか。永久脱毛には謎が多い。家でも自分で簡単にレーザー脱毛を行うことができる、そのようなレーザー脱毛機はとても良いようだが、やはり自分に扱えるのか、とても不安に思ってね。しかし、レーザー脱毛機は本当に使いやすいものなので、そんな心配は無用ですね。非常に満足なレーザー脱毛を自宅でされてしまうアイテムです。
●右ひじ痛からの故障明け
「他に打つ手はあったはずだ」――。
レッドソックス・松坂が去る5日のエンゼルス戦でメジャー初の救援登板を強いられた一件で、こんな声が上がっている。
この試合は雨で中断して先発投手が早々と降板したこともあり、延長十二回までに岡島や守護神パペルボンら7人の投手が登板。投げられる救援投手は残っておらず、松坂が延長十三回に緊急登板、勝ち越しを許して3敗目を喫した。
試合前に救援右腕のジェンクスが右ひじ痛を訴えていただけに、フランコーナ監督は「(松坂を投入する以外)他にどうしようもなかった」と説明したが、他にも選択肢はあった。ジェンクスが右ひじに異常を訴えたのは事実だが、実はトレーナーからは「登板可能」のお墨付きを得ていたというのだ。
試合前のメディカルチェックでトレーナーから「5段階でいうと、痛みはどれぐらいか?」と状態を問われたジェンクスは、こう答えたそうだ。
「(程度の軽い)2(番目)ぐらい」
ジェンクスは大事に至る前にひじの違和感を訴えただけで、決して投げられない状態ではなく、トレーナーからも「ゴーサイン」が出ていた。当時のレッドソックスはリリーフ陣が不調で開幕直前にマイナー行きを通告した岡島を急きょ、昇格させるなど、やりくりに苦労していた。指揮官としては救援右腕の大事を取って休ませたのだろうが、「他にどうしようもなかった」わけではない。ジェンクスの投入も可能だったのだ。
その後、ジェンクスは故障者リスト(DL)に入ったが、右ひじ痛が原因というより再調整のためだ(11試合で1勝2敗、防御率9.35)。
松坂は当時、右ひじ痛からの故障明け。状態はむしろジェンクスより深刻だった可能性もあったが、投げさせられたのは松坂の方。1億ドル右腕は2年総額1200万ドル(約9億7500万円)の中継ぎ投手の穴埋めに使われるほど、評価が急落していたということか。
(日刊ゲンダイ2011年5月28日掲載)
「こうなると思ったよ……」と漏らしたのは古手の球界OBだ。
楽天は26日の横浜戦に負けて借金5。1ゲーム差で6位にいるオリックスは交流戦に入って調子を上げてきた。右肩痛で戦列を離れているエース岩隈の復帰も先送りとなり、最下位転落は時間の問題だ。
楽天の野村名誉監督は、26日の試合で見せた不可解なベンチワークや貧打を責めるばかりで、打開策を打ち出せない指揮官をスポーツ紙でチクリとやった。
ナインも星野監督に対する印象が徐々に変わってきたようだ。新監督はチームの精神的支柱だった渡辺直を放出。補強した松井稼は渡辺より成績が悪い。体重増で満足に走れない岩村は開幕早々に二軍落ち。田淵ヘッド兼打撃コーチが連れてきた「スイング・アドバイザー」の教える「骨盤打法」にも多くの選手が疑問を持っているという。「星野さんって、思っていたイメージとは違う」とこぼす者もいて、チームは必ずしも一枚岩ではないようだ。
「やっぱり星野1人では無理なんだよ」と冒頭のOBが続ける。
「星野という監督は島野(育夫=故人)と2人セットで一人前なんだよ。島野は攻撃時の采配はもちろん、相手チームのベンチや走者の動きなども注視。選手のクセやサイン盗みに長(た)け、大きなミスをした選手もタイミングよくフォローする。中日時代には選手が公にできない女性問題のトラブル処理までやっていた。細かいことに気のつく名参謀がいたから星野は阪神の改革にも成功した。だが、島野が07年に他界すると、北京五輪の日本代表監督を引き受けてもメダルなしの惨敗。大型補強した楽天でもこの現状だろ。今の星野は仁村(作戦コーチ)と田淵(ヘッド)が脇を固めているが、2人いても島野1人にはかなわんよ」
野村前監督は4年間で「考える野球」を選手に教え込み、09年には2位になった。ある選手は「野村監督は好きではなかったが、野球理論に関しては球界で右に出るものはいないと思う」と言った。そんな選手からすれば現監督はモノ足りないはずだ。
「島ちゃんはオレの右腕じゃない。両手、両足や!」というのが口癖だった星野監督。名参謀を欠いての楽天再生は無理である。
(日刊ゲンダイ2011年5月28日掲載)
高卒(熊本工)4年目、21歳の新星・藤村がボロボロの巨人で孤軍奮闘している。
4試合連続1得点の貧打線にあって3戦8安打。打率.333、チームトップタイの5盗塁と躍動する姿は、ストレスがたまりまくる巨人ファンにとっては唯一の明るい材料だ。
最大の武器は50メートル5秒8の俊足。平凡なゴロを内野安打にしてしまう脚力は、父の寿成さん(49)から譲り受けた。
九州学院の主将で1番打者として春の甲子園に出場した寿成さんは中学時代、陸上の100メートルで熊本県1位に輝いた経歴を持つ。
藤村の恩師で当時も熊本工を率いていた林幸義監督(64)が証言する。
「藤村(父)の足を封じないと勝てないと思い、一番肩が強かった伊東(前西武監督)を中堅手から捕手に転向させました。足はお父さんの方が速かったかもしれないけど、息子の方が三拍子そろった選手ですね」
寿成さんの盗塁を刺せたのは県内で伊東だけだったという。コンバートが成功し、その年の夏は熊本工が甲子園に出場。その後、西武に入団した伊東は、球界を代表する捕手に成長した。その裏には「韋駄天・藤村父」の存在があったのだ。
173センチ、73キロ。ベビーフェースで女性ファンに人気の藤村だが、名門で主将を張っていただけに闘志は人一倍だという。
高校2年の夏の大会前に左手薬指を骨折。全治3カ月と診断されたが、「試合に出たい」とギプスをつけながら甲子園に出場したガッツマンだ。林監督が言う。
「悔しい時に道具を蹴っ飛ばしたりすることがあって、怒ったこともありましたが、小さい体で厳しいプロの世界で生きていくには、むしろそれくらいのファイトがないとダメでしょう。私が怒鳴ってもケロッとしているし、物おじしない性格。カリスマ性があるといわれるAB型の藤村は、プレーで引っ張るタイプのキャプテンで、チームメートも一目置いていた」 高校、巨人の先輩で2度の盗塁王を獲得した緒方耕一になぞらえ、“緒方2世”といわれる。
「緒方も高校時代は遊撃手で、藤村とよく似たタイプ。当時は右打者だった緒方の方がパンチ力は上でしたが、足と内野の守備力は同じくらい。藤村には『緒方くらいの選手にはなれよ』と言ってあるんです」(林監督)
原監督が「小技が利くし、状況判断や洞察力があるし、おごりもない」と絶賛する新2番打者が、長い間不在といわれた正二塁手の座を掴み取ろうとしている。
(日刊ゲンダイ2011年5月28日掲載)
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