Sep 13, 2009
大切なことは名古屋のホテルで過ごす
大切な記念日などはいつものように過去のあるカップルが多いと思いますが、名古屋の場合はラグジュアリーな雰囲気で、大切な日を過ごすようになっているのです。名古屋のホテルには、様々なサービスをしているような名古屋のホテルも増えてきているため、推奨されています。今はインターネットやクレジットカードがあれば、日本だけでなく海外ホテルの予約も簡単になってしまいます。以前は旅行会社にお願いして、ホテルの予約や航空券の準備をしていましたが、今では簡単に自分でいくつか選択して予約できるので嬉しいです。また、インターネットを使用すると、本当に多くのホテルや旅館の中から選択してくださいまた、安価なものを見つけることができた。
八王子の老舗ドッグカフェ「DOGLIKE」(八王子市南陽台3、TEL. 042-678-7540)などが現在、東日本大震災を受け被災地にペットに関連する支援物資を送る活動を進めている。(八王子経済新聞)
同店は飼い犬とともに楽しめるカフェとして開業。2006年にはトリミングサロンも開設した。店長は同店を営む石井さんの飼い犬でボストンテリアの「半蔵」。このことから同店は「半蔵の家」として親しまれている。3月に開店9周年を迎えたが、今回の地震を受け記念イベントの開催は中止した。
犬のしつけやトレーニング、ドッグホテルなどを展開する「WANLOVE」(国立市)が中心となって進めている同取り組み。仙台でドッグカフェやドッグランなどを展開する「DOGWOOD」(仙台市青葉区)との交流で得られた情報を基にペットに必要な物資を一般から集めている。「WANLOVEさんが知り合いの店舗に声をかけ、次々に参加する店が広がっている」と石井さん。
同店も3月25日から動き始め、持ち運ぶためのケージや首輪、リードなど、動物が生活していくために必要なものを提供してもらおうと、ホームページなども使って一般に呼びかけた。先週までにトイレシート、砂、ドッグフードなどの物資が同店に集まっており、これらの物資はWANLOVEが取りまとめた後、被災地に届ける。「当初は発送していたが、物資が多くなり始めたので直接仙台まで運ぶと聞いている」と石井さん。
現在は集まったさまざまな支援物資を仕分けている段階で、募集は一時中断している。「状況によって送るものは変わってくるかもしれないが、ケージやフードは本当に不足している」と石井さん。今後も2、3週間に一度のペースで届ける予定で、DOGWOODに必要な物資を確認しながら、長期にわたって支援していくという。
営業時間は10時〜19時。木曜定休。
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DOGLIKE
敷地内に入り、長さ41メートルの石畳を歩くと、名前と出身地が記された石碑が両脇に並んでいます。その数145基。窓のない魚雷に単身乗り込み、敵艦に直撃した人間魚雷「回天」関係の犠牲者の数です。偶然、一つが目に飛び込んできました。「梅下政男 高知県」
山口県周南市の大津(おおづ)島を訪ねました。回天の訓練基地跡が全国で唯一残ります。回天は、太平洋戦争末期の1944(昭和19)年8月に「天を回らし、戦局を逆転させる」ため、旧海軍が導入した特攻兵器です。翌45年には、敵の本土上陸に備え、基地回天隊が浦戸湾(高知市)や須崎湾をはじめ、太平洋沿岸に作られました。
朝、徳山港をフェリーで出港すると、瀬戸内海が朝日にきらめいていました。約10キロ南西にある大津島(約400人)南部の馬島港に約40分で到着します。港から細道を徒歩で数分。山の中腹の訓練員宿舎跡に同市回天記念館があります。
館の前に実物大の回天の模型が展示されています。黒光りした姿は想像以上に長く、不気味です。全長14・75メートル、直径1メートル。「形そのものは魚雷には違いない。だが、それは巨大な棺桶(かんおけ)に見えた」。作家・横山秀夫さんは映画化された小説「出口のない海」(講談社)で書いています。ハッチが閉められると、身動きできません。米国魚雷の約5倍に当たる1・55トンの爆薬を先端に搭載しました。最高時速は56キロ。閉鎖された魚雷に乗り込み、海中を高速で進む−−。想像しただけで怖くなります。
同館の河島元一さん(76)は島民です。当時、山上から枝を振って、出撃を見送りました。「潜水艦の上で隊員が振る日本刀が光りよったですねえ。特攻隊員だからでしょうか、髪の長い人が多かった」。訓練中の操縦ミスで海岸に衝突した回天も目撃しました。
館内の壁一面に遺影が並んでいます。17〜28歳、平均21・1歳。特攻隊員をはじめ、整備員、自決者……。石碑に名前のあった梅下さんは145人中、唯一の県人です。写真を見ると、「大日本帝國海軍」の帽子をかぶり、一重まぶたのりりしい青年です。「海軍一曹 轟(とどろき)隊 昭和20年6月25日 沖大島海域に於て戦死 21歳」
同館によると、梅下さんは光回天基地(山口県)所属の整備員でした。回天1基に、特攻する搭乗員と整備員が1人ずつ付きます。梅下さんは同年5月23日、伊号第361潜水艦で出航。回天5基がバンドで固定され、最年少の17歳をはじめ、搭乗員5人が乗り込んでいました。しかし、沖縄東方の海で消息を絶ちました。
出撃が決まると、休暇がもらえ、実家への帰宅が許されました。秘密作戦だったため、隊員たちは最後の別れすら家族に告げられません。出撃前に帰郷した梅下さんが、東津野村(現・津野町)の自宅に送ったはがきが館内に展示されています。
「短時間だったけれども家まで帰ってよかった思ひます 無事帰隊致しました 御安心下さい」【高知支局長・大澤重人】
※次回は7日に掲載します。
4月4日朝刊
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