Feb 09, 2009

注文住宅は楽しみが多い

注文住宅は、期待感が多くの多くの面で家族の会話が弾み、また設計担当の方や工務店さんは、内臓器官氏やその他本当に色々な方々と話をする機会が生。注文住宅は、住宅を作るが、それだけでなく、一生の付き合いになるかもしれないウォン我々生まれます。普通の人に家の建築は、一生に一度です。一生の付き合いが必要ですね。
最近、我が家のポストの間毎日のように外壁塗装のチラシが入っています。我が家は家を建てて、また15年ぶりに入る。外壁を見ると、少し汚れが目立つようになってきましたが、まだ外壁塗装をすることができるほどお金がありません。子供たちが就職くれれば何とかなるかもしれませんが、最近の就職難は、困ったものです。
 当たり前にあったはずの人々の日常を奪った東日本大震災から3カ月。ストレスを抱えながら避難所暮らしに耐える人がいる。ようやく仮設住宅に入居したものの、希望を見いだせない人もいる。なお続く避難の現場から報告する。

 長年連れ添った伴侶を失った高齢者の中には、一人で過ごす老後の暮らしが見通せないまま、避難所での仮住まいを続ける人が少なくない。

 現在も、6366人(9日現在)が避難所暮らしを続ける宮城県石巻市。旧北上川河口付近に住んでいた佐々木勝さん(70)は、同居していた妻勝子さん(67)、長女志保さん(37)、孫里菜さん(14)の3人全員を失った。タクシー運転手の佐々木さんはあの日、仕事に出ていた。大きな揺れであわてて帰宅し、3人に「車を(会社に)置いてくっから待ってろ」と声をかけた。会社に到着した直後、津波が押し寄せ、自宅に戻ることはできなかった。

 地震から10日ほどして避難所の市立湊小学校に落ち着いた。数日後に自宅の茶の間があった辺りで3人の遺体を見つけた。勝子さんの手には車の鍵が握られていた。

 「俺が待ってろって言ったから、(3人は)家にずっと残っちゃったのかなあ」

 結婚して約40年、家事は任せきりだった。避難所ではコインランドリーに通うが「家で何もしてなかったから、どうやったらいいか分からない。でも、これからはそうもいかないから。反省してます」。亡き妻に語りかけるように話した。

 避難所の住人は次第に減っていき、復興の足音が少しずつ近づくが、自分の生活が今後どうなるのかはまだ見えない。今は避難所で、声をかけてくれる近所の人がいる。だが、いつまでもここで生活を続けられない。同県登米市の次女宅近くで住む場所を探してもらっているが、一人暮らしには不安もある。亡くなった妻、長女、孫の3人は震災前に石巻に買った墓に埋葬する。地元を離れたくない気持ちもある。

 「ここを出て一人になったら、その時に寂しいって感じるんだろうな」。そう言って、左手の薬指にはめた金色の結婚指輪をさすった。【曽田拓】

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 当たり前にあったはずの人々の日常を奪った東日本大震災から3カ月。ストレスを抱えながら避難所暮らしに耐える人がいる。ようやく仮設住宅に入居したものの、希望を見いだせない人もいる。なお続く避難の現場から報告する。

 津波で壊滅状態になった岩手県大槌町。避難者は6456人に上るが、仮設住宅への入居は76世帯にとどまっている。避難所内は蒸し暑さを増し、海風が沿岸部に打ち上げられた魚の腐敗臭を運ぶ。3カ月になる避難生活に女性(62)は言う。「もう慣れてしまった。でも本当は、慣れたくなんかない」

 町の防災計画では避難者数を「120人」と想定していた町立安渡(あんど)小学校は、約250人が震災直後から避難生活を続ける。築35年になる校舎3階の視聴覚室は約20畳のスペースに18人が暮らす。段ボールや布団で隣を仕切り、1人あたりのスペースは布団1枚程度。安渡地区でも仮設住宅の建設が始まったが、94戸しかなく、入居者の抽選はこれから。築50年近い体育館で暮らす小国ヤスさん(79)は「最初は安渡を離れたくなかったけど、今はどこでもいいから入りたい」と話す。

 別の避難所で夫と暮らす80代女性は人間関係に苦しんでいる。5月初旬、同じ区画の女性に「うるさい」と言葉を投げつけられた。トイレから戻ると「手を洗ったの?」と聞かれる。「いじめられている」と感じている。

 夜中にトイレに行きたくても「物音を立てるのでは」と気兼ねしてしまう。眠れないので精神安定剤を服用している。避難所に保健師が巡回してくるが「本音は言えない」。6月初旬、女性の夫が体調を崩し入院した。女性は避難所に居づらく、日中は散歩に出るが、がれきの山を目にすると気がめいる。自宅は津波で跡形もない。子どもはおらず、身を寄せる場所もない。「もう少しの辛抱。仮設住宅が当たれば、ここを出られる」。そう自分に言い聞かせている。【神足俊輔、岸川弘明】

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